3・11とコロナ禍

今の話

もう10年経ったとは・・・あの日は、これから始まる改築の打ち合わせを施主邸でしていて

最初、揺れてもそのうち収まると高をくっていたが、築年数も40年以上だし何と

言っても耐震工事が一番の目的のお宅だったので奥様と二人で外に避難、

先ず目にしたのは、電柱。有り得ない揺れ方で今にも倒れるのではと

阪神淡路の時は、関西圏の実家や親戚に大きな被害がなくて安堵した。

3.11の時は、帰宅困難になった友を泊め、温かい部屋で温かい食事を取りしかし

TVは、津波を繰り返し放送していた。

同じ日本で片や津波に流され、片やそれを映像として観てる自分達が、いる。

こんな不条理が・・・あった。

それから、福島の原発が爆発して最悪のシナリオになるのでは、と恐怖が走った。

覚悟のようなものも考えた。それからもう10年も経った。

今は、コロナという目に見えないものに脅かされて生きている。

先日、友人から近くの電信柱に年配の女性が、長いこと佇んでいてひよっとして

“認知症”の方が、途方にくれているのかと声を掛けてみたらその女性曰く

「自粛、自粛といわれずっと我慢して自宅に独りいたけれど寂しくて誰かと話したくて外に出てみたと言う・・」

私は、近頃ジムに行きだして先日ロッカールームでわからないことを椅子に座っている高齢の女性に聞いたら親切に教えてくれ礼を言ったら彼女から発した言葉が

「あぁここに来て良かった、久しぶりにお喋りできた」と明るい笑顔で・・

やはり自粛の波に飲まれ またそれをしっかり守っている市井の人達 

私は思わず抱きしめたくなった。もうすぐだよ あと少しだよ、我慢しないで!