“そうだ京都に行こう”
JR東海のキャッチフレーズのこれが好き!
元々関西出身で親戚もあったけど関東が長くなると遠い場所になっていた。何故か急に行きたくなって友人を誘って『いざ京都へ』
先ずは、京都駅から近い国宝三十三間堂に到着。圧倒的な迫力に感激!
清水寺の正門の仁王門。
今回は、境内はパスして坂をウロウロ
コロナも落ち着き、海外からの大勢の人達も含め賑わっている。
清水寺の坂は、
一念坂、二寧坂、三年坂とあるが
三年坂で転ぶと、三年以内に死ぬか寿命が短くなるという「いわれ」があるらしいが、平安時代に三年坂一帯は、火葬場や墓場だったからと言う説は如何にも古都、京都らしい
“都をどりは、よいやさぁ~“の掛け声で一斉に幕が上がり、絢爛豪華の舞台に幼少だった頃の驚きは、時を何十年経っても目に焼き付いている。
そんな祇園を歩いていると、朝なのにびんつけ油か練り白粉の匂いが鼻をくすぐるような 気がした。それだけ祇園は、花街として今も息づいているからか……
祇園に流れる白川河川も相変わらず透明感があり豊かに流れている。京都の水は、琵琶湖からの水の供給に100年お礼金を支払っているそうな
京大の前の百万遍知恩寺で毎月一回”手作り市”をやっている。何年かぶりに買い物を楽しんだ。
今回の旅行の中で、一番行きたかった所、私のそれこそ ”ルーツ? “である哲学の道 幼少の頃、この哲学の道沿いに伯母の旅館があった。年間通して、やれお祭り、演舞会等々、大文字焼までいつも参加していた。京都が、第二の故郷と思う由縁である……とひとり合点している。
歩いていると、懐かしい橋が見つかった!幼少の時は、大きな石の橋の記憶が今は、 こじんまりと鎮座していた。
何十年の経年に外観も変わって今は、持ち主も
変わっているが何とある物を発見して
懐かしさと嬉しさにこみ上げる喜びがあった。
見覚えのある”翁と媼(おうな)”の屋根飾りが葺き替えした屋根に残っていた。
それこそ何十年変わらずの”微笑み”で待っていてくれた。学校で関東に移り住んでの今、私の中の”京都”には、思い出さなかったのが
この屋根飾りを見てあの時代の喜怒哀楽まて駆け巡って一人感慨にふけった。
レンガ造りのローマ風のアーチが、ドラマによく使われる”南禅寺水路閣” 明治23年着工にしては、古い味わい。
南禅寺の近くにある永観堂(禅林寺)。平安時代からの真言密教の寺。紅葉の頃は、一面、燃える赤になる。寺の起源は、空海……もうたとえられない程の歴史の禅寺である。
臥龍廊(がりゅうろう)山の斜面に沿って木を組み合わせて作られた廊下。
永観堂で有名な“見返り阿弥陀“
永観堂禅林寺のご本尊は、首を左にかしげふりむいておられます。諸説は、色々あるが來迎時、浄土へ戻る際、往生者を促し見守るために振り返っておられるという説が、慈愛の眼差しに表れていると思う。
ちょうど僧侶が前を通られた。
無宗教に近い私だけど 何故か熱い物がこみ上げてきて自然に手を合わせていた。
建仁寺は、この中に興味深い寺が点在している。今川義元が若年の頃修行したというので
今まで回った寺より若い?と感じた 笑
寺の玄関アプローチに早々に迎えてくれた
“風神雷神”の屏風、俵屋宗達作、勿論模写であるがこの規模は、初めて見た。
建仁寺の一番の庭”潮音庭” 真ん中の石には、それぞれのいわれのある枯山水の庭。
さて今回の目的の法堂(はっとう)に
向かう
天井の「双龍図」は2002年から取り組んだ小泉画伯にて畳10帖はある水墨画である。
もう圧倒的な迫力に肝を潰す程であった!
同じ建仁寺の中の”霊源院”、中国のアーティストによる天井図とこの金屛風
寝ながら天井の”黒龍図”を見ている。
これで京都は、終わったが今回名前は、知っていて過去何度も通り過ぎていたお寺をじっくり拝観できこの年になったからか今までにない感慨を感じた。また会いにくるね!私の京都